うつ病と社交不安障害になった私、寛解への長い寄り道記録

うつ病10年目、毎日、寛解にむけての紆余曲折の記録です。酷いネガティブな投稿もあるかもしれませんが、それを含めて記録していきたいです。繰返し同じような投稿をするかも知れません。その時思っていることを書いているので、ご了承ください。【注意点】ツイッターの延長線上で書いています。ご了承ください。

お休み

8/12
ツイッターを休んだ。
TL追いもフォロー通知も、ツイキャスの通知も。

 

私はその間、2つの事を感じ、考えていた。


一つは、私がツイートしていなくても、ツイッタランドでは何事もないんだろうなと感じてしまった事。
もう一つは、ツイッターをしていない自分がとても孤独であると感じてしまった事。

 

TVを見ていなくても、音楽を聴いていなくても、ゲームをしていなくても、ツイッターをしていなくても、時間は流れていった。

 

その時間の流れは普段感じているものとたいして変わらなかった。
数日続ければ、何か感じるところもあるのかもしれないが、今の私には効果が少ないというか、何もしていないことによる頭のスキマで考え事ばかりしてしまうことがわかった。

 

結局は何をしていても私は私だった。(今の私の心持ちでは)

 

話変わって、いや、繋がっているか。
家の中に娯楽がたくさんあって、何を手にするか、何を手にしたら楽しいか、そもそも何がしたいのか、これについては継続して悩んでいる。
でも何もしない日を数日過ごしたとしても娯楽の量が減るわけではない。
(捨てるのは抵抗がある)

 

1つ感じたことは、クリア、読了まで数ページといったように終わりが見えているものから消化する。
そして、消化するまでは新しいものを買わない。
こんなところだろうか。
障害厚生年金を頂いている身ではあるが、娯楽がないと辛いのは本音である。
 

まとめると、

・TV、PC、ゲーム、本等をシャットアウトしても娯楽の対象が減る訳ではない。
・現時点では、心を空にすることが困難である。
・できるだけ早く消化できる娯楽を優先し、それが達成できるまでは新しい娯楽を増やさない。

 

こんな感じ。

 

もう一月半ぐらい経てば、過ごしやすい気温になり、散歩を楽しめるだろう。
これから起きるであろう予期不安を減らし、予期ではなく、現実を見据えよう。
市役所の福祉課に行ける日もそう遠くないと感じている。

私はまだ、前を向いて進めている。

私の背中を押してくれる、手を差し出してくれる人がいる。

そんな皆さんに感謝申し上げます。