うつ病と社交不安障害になった私、寛解への長い寄り道記録

うつ病10年目、毎日、寛解にむけての紆余曲折の記録です。酷いネガティブな投稿もあるかもしれませんが、それを含めて記録していきたいです。繰返し同じような投稿をするかも知れません。その時思っていることを書いているので、ご了承ください。【注意点】ツイッターの延長線上で書いています。ご了承ください。

私と精神疾患についての取り組み【2018/07/06版】

この投稿をするにあたり、いくつかの前提条件があるので、まずはそこから書こうと思う。(正直ここまでプライベートさらすのはどうかと思うが、私が真摯に病気に向かいあっていることを記録する為にあえて投稿している)

 

<前提条件>

・この投稿をするきっかけになったのは、「マシュマロ(匿名のメッセージを受け付けるサービス)」において、以下の趣旨のメッセージを受け取ったからだ。

 

①送り主の家族に病気を持っている方がいる(注:病名は不明)

②3日ほどツイッターを放置して、私の今後について見つめ直して欲しい

③薬、自宅療養、ツイキャスだけが治療ではない

④私の妻が気の毒である

 

匿名でのメッセージであり、全てに真摯な態度でお返事をしなければならないというルールは無いと思うのだが、何か思うところがあってメッセージを送られたのだろうと受け取り、それについて、私と妻が思っている事を真摯に返答しようと思った。


なお、このメッセージについて、それ自体を非難するものではないが、妻が余計なお世話だとして、戸惑いと怒りを感じているという事をはっきりと主張しておきたい。

 

・私はうつ病(双極性障害との診断もあった)と社交不安障害を患っており、10年以上治療を続けている。

・うつ病を発症した原因は、オーバーワークと職場の環境変化に対する大きな不安が重なったものであり、家庭内の事情(暴力、離婚、虐待等)、ハラスメントは関係ない。

・私には20年来の友達が1人だけいる。その友人は健常者であり、病気であることをオープンにしている。但し、その友人はSNSをやっておらず、加えていえば5年以上会っていない(年賀状での繋がりのみである。)

・私はツイッターを2011年以前から使用しており、その善し悪しについては理解しているつもりである。

・妻との関係は非常に良好であり、私が病気になっても、職を失い、収入が無くなっても文句1つ言わず寄り添ってくれる、私の1番の理解者であり、唯一愛する人である(両親、兄弟、義父母は除く)。
・私がツイッターをやっている頻度及びツイッターから感じとった内容を妻と共有している。

・私はギャンブル、女性との不適切な関係、借金、暴力とは無縁の人間である。

・私は、うつ病及び社交不安障害を患っている当事者と言葉のやり取りをする為にツイッターを利用している

・マシュマロを投げた方に私のツイッターアカウントをブロックして頂きたい。(どなたなのかを詮索するつもりはない。私の発言に辛さを感じるなら、私から遠ざかり、自分自身を守ってほしい。)

  

【本題】

<うつ病への取り組み>

うつ病の治療については、主に精神科医による指示の下での薬物療法であり、10年以上に渡り、その時々にあった抗うつ剤、抗不安薬、睡眠導入剤、気分の変動を抑える薬、うつ病の治療により間接的に体に現れた症状に対する薬(胃薬、高脂血症、アカシジア)を服用している。
抗うつ剤の使用については、試行錯誤を繰り返し、副作用を考慮して、今の私の状態にあった薬を模索し続け、2週に一度の通院で治療している。
今後も薬物療法にて治療を継続するつもりである。

 

自宅療養については、無職であるために自由に使える時間がたくさんある。ただし、うつ病であるということは、意欲がなくなり、低空飛行もしくは、気分が激しく波打つ事もあり、自由な時間の全てを充実した療養に費やすことはできない。
長い長い急性期を抜け、今は回復期を迎えていると認識している。ここまでたどり着くのにどれほどの苦労があったかは、私とそれを見ていた妻にしかわからない。
今後も規則正しい生活リズムを整え、質の良い眠りを確保し、適度な運動を行い、自分に対して少しずつ負荷をかけることで、寛解への道を探って行きたい。

 

なお、回復期を迎えている理由として挙げられる事の例は、以下の通り。

・寝たきりになる日はほぼ皆無になった

・家事の一部ができるようになった

・週4,5回、1回7000歩程度の散歩を3年間継続して行っている

・薬は適切な時間に適正量を確実に飲んでいる

・家族と精神科、買い物といった自分のテリトリー内では、一見病気ではないように振る舞うことができる

 

逆に現時点でマイナスな面の例は、以下の通り。

・定期的に希死念慮に襲われる

・意欲がなく、これまで(10年前)まで楽しく感じてきたことが出来なくなっている

・自分のテリトリー以外の他人との接点が数年に渡り皆無であった

・ほぼ毎日、うめき声をあげざるを得ない辛さに襲われている

・自分には価値がなく、未来への希望はないと思っている

・起床する時間が不安定で、数か月毎に起床時間が4,5時間ずれる(早朝覚醒)

これ以上書いてもみじめになるだけなので、これまでとする。

 

以上、うつ病に対する治療方針は私の主治医と常に連携して今後も継続する事になる。

 

<社交不安障害への取り組み>

これについては、まず私が認識している私の性格を記す必要がある。
まずは、不安障害と診断される前から認識していたもの。
これについては、以下の通り。

・真面目である

・責任感が強い

・一度気になった事があると時間を忘れて、それに集中する事ができ、その事に対して可能な限り完璧であることを求める

・温厚

・非暴力的

・失敗を恐れる

・被害妄想あり

・他人の顔色・言葉を繊細にくみ取る

・現実世界で友人を作るのが苦手である

・趣味は狭く深い

・インドア派

・他人と直接会話する事が苦手であるが、時間をかければ非常に良好な関係を築くことができる

・これから起こるであろうことを先行して意識・思考する

 

不安障害と診断されてから認識したもの

特になし

 

以上が私と妻が認識している私の性格である。

( 7/5、主治医と話をしたが、HSPとは診断されなかった。)

 

ここから考えられることは、私は他人との付き合い方が下手であり、被害妄想も重なって自虐的になり、常に自分が嫌われていないかを気にして、神経をとがらせている。
他人に向けて発せられた言葉を自分が受けたものと思いこんでしまい、気分が落ちる。

 

つまるところ、私はひとところに留まれば、他人との交流を良好にすることが可能であるが、環境が変化する事を感じると、人間関係の変化を過剰に意識することにより、精神的に追い詰められる傾向がある。

 

これら問題を緩和する為に取り組んでいるのが、他人と接触を持つ事、人前で話す事に慣れる事ではないかと判断するに至った。
結果的に、これがツイッターの使用に繋がる事になった。

 

<私とツイッターの関係性>

私は10年以上、辛さを感じてきた。この辛さは当事者それぞれが感じるものであり、たとえ妻であってもそれを感じることはできない。つまり自分が感じる不快な事の全てが辛いのである。家族、主治医以外の他人が直接的な干渉をする事は好ましくないと思っている。
但し、私の思考についてアドバイスを頂く事は大変ありがたく捉えており、必要であれば、自ら調べ学習する事により、自らの糧にする事を前向きに実践する努力をしている。
また、当事者同士がそれぞれ感じている辛さ、その辛さを解決・緩和する為に学んだ知識・認知を共有することで、自分が感じる辛さの一部を脇道にそらし、流れる辛さの量を軽減する事が出来るのではないかと思っている。

 

私はこの4月にふとしたきっかけで、精神疾患を患った人たちが集まる輪に参加することができた。この事は10年以上辛さを感じてきた自分にとって非常に大きなターニングポイントであり、今後の私の病気への取り組み方、向き合い方を変えるものだと即座に認識する事ができた。
私は”#milkカフェ”というタグによるツイッターでの繋がり、そこから派生した繋がりを非常に大切に感じている。実際、milkカフェの一員として自認するようになったおかげで、画期的なことが起こった。

①スカイプによる音声通話で3年以上ぶりに他人と会話し、簡易認知行動療法の考え方を得ることができた。

②フォロワーさんとスマートフォン越しに顔をあきらかにして、数年ぶりに1対1で会話をした。
(無駄話ではなく、私の現状を伝え、相手はそれを受け取り会話のキャッチボールを行った。セッションと呼んでいる。)

 

私は、不安障害を完全に克服することはできないと思っている。
なぜならそれは私の個性の一部だからだ。それは即ち、一つのものに集中し、責任感を持って極力完全な成功を目指す事などに相当する。
個性は他人に否定されるものではなく、他の知識・認知を吸収することによって、自分の個性に不足しているもの、過剰に存在しているものを適当にする事ができる物であると思っている。

 

私の10年は無駄だったのかもしれない、勉強不足だったのかもしれない、でも出来なかったものは出来なかったのだ。いまさら過去を振り返る必要はない。振り返っても時間を戻すことはできない。

 

私は今ツイッターに、自分の自由時間の多くを費やしている。自問自答したり、他の当事者たちがそれぞれの立場で発信した言葉・思いのうち、自分に合うものを吸収していく過程にある。
その過程において、特定の数人と仲がよくなるのは当然であり、むしろ友人がいない私には、とても大きな救いになる。
相手が年上・年下の方であっても、どのような性自認を持つ方であっても、どのような身体を持つ方であっても、今までどんな経験をしてきた方であっても、始めは必ず丁寧に接し、交流が深まるにつれて言葉使いが柔らかなものになっていく。当然の事であろうと私は思っている。

そのように使っているツイッターというツールを、使う事自体否定されてしまうのであれば、私はツイッターから速やかに退場し、また狭い世界の中で生活を続けるだろう。
誰にそんな権利があるのか。判断するのは私であり、私が言葉のやり取りをする相手の方であり、不適切な表現があればツイッターのアカウントが制限されるだろう。

(メッセージを送った方は、これらを危惧して、「キツク聞こえてしまったら~」と言ってくださったのだろう。始めは、キツク聞こえた、訳ではなかったが、メッセージ内にある要求は、時間を経る毎に、キツイもの、になっていった。私の現在の個性が故である。私はこのメッセージにより深く深く気分を落とした。)

 

ツイッターには負の面もたくさんある。私はその負の部分の当事者になったこともあるし、負の感情にとらわれたこともある。私は私なりに他人に対して、どの程度の深さまで心に触れられるかを慎重に判断している。医者ではないので、心の奥底にダイレクトに干渉することなどできないし、論外である。でも、相手の心の表層にふれ、共感を得る事は可能であると思っている。それを意識して言葉を選んでいる。もちろん全てのツイートに対して言葉を慎重に選んでいる訳ではないが。

 

何人にも言われた事があるが、”他人からの評価を気にしすぎる”、”自分に対して厳しすぎる”、そんなご意見をもらう。たしかにそうだろう。妻にも散々言われている。
”あなたはさぼっているというけれど、あなたはとても頑張っている、自分に厳しすぎるからもっと自分を好きになって、自分を甘やかして”と。
その言葉の意味はわかっている。だが、それができているならとうに実践している。

その言葉が持つ意味・感情を自然に感じられるようになるかどうかというところを、目下悩んでおり、目標としている。
私は私だ。それを大事にしたい。

 

私が今後どの程度の有益な知識・認知を吸収し、他の当事者と辛さを分かち合い、共感できるかはわからない。ルールを守ったツイッターの使用をしている限り、他人にツイッターの使用を止めさせる権利はない。
はっきり申し上げる。
辛い時にはツイッターはできない。ツイッターが出来ているということは、今がツイッターをやる時なのだと感じている。

 

私は、楽しいから、そこに人間関係があるから、友人がいると感じられるから、という理由だけでツイッターをしている訳ではなく、ツイッターを必要としているからやっているのである。いずれは卒業する日が来るかもしれない。

 

SNSの良いところは、ブロックができる事である。ツイッターを使用する上で、自ら傷つきに行く必要はない。私が相手に負のイメージを感じたら、私の目に触れないようにしている。(これは私の価値観でそう思うだけであり、その相手を否定するものではない。ここは強く主張したい。


ただ、SNSは難しい。敏感・繊細である人ほどダメージを受ける事が多いだろう。私もそうだ。辛い思いは何度もして来た。きっと、この投稿を読むような方は、そのような方が多いのではないだろうかと想像する。
でも、自分の事は、自分で守ってやればいいのだ。
SNSの主人公はいつだって自分自身なのだ。

 

<結論>

受け取ったメッセージ対しての回答は以下の通りである、

 

うつ病、社交不安障害の治療については、今後も鋭意継続する。
私は、これまで通り、上記の事項を意識してツイッターを続ける。ただし、負荷が高いと感じたら、体調が悪いと感じたら無理せず休みを取る。
私は私を守る。ただそれだけ。
妻に私を守ってもらわずにいられる場を、ツイッター上で築いてみたい。その試行錯誤を続けて行く。
私は、私がツイッターを必要だと思っている限り続ける。

 

<最後に>

普段はお互い干渉しない個人のブログだが、この投稿については、妻にレビューしてもらい、加筆修正をしてもらっている。
妻が気の毒である、という事は一切ない。