うつ病と社交不安障害になった私、寛解への長い寄り道記録

うつ病10年目、毎日、寛解にむけての紆余曲折の記録です。酷いネガティブな投稿もあるかもしれませんが、それを含めて記録していきたいです。繰返し同じような投稿をするかも知れません。その時思っていることを書いているので、ご了承ください。【注意点】ツイッターの延長線上で書いています。ご了承ください。

独白

ツイートする内容を宣言する必要はない。ツイートする内容はなんでもいい。ただツイートで誰かを傷つけたらいけない。私は性格上いい子ちゃんでいたい。小さい頃からそうだった。みんなの顔色を見て、次に起こるだろう何かをたくさんシミュレーションする。これは染み付いてしまった私の個性なので、取り除くことは止めることにした。

将来のことは運命で決まっているかも知れないが、その時がくるまで、瞬間瞬間を生きればいい。それしかないのだから。

仕事=収入=安定した生活を送りたいのは大抵の人の思いだと思う。だけど、焦ってしまえば事を仕損じるだろう。私は充電し過ぎてバッテリーを交換する必要があるようだ。

その交換する新しいバッテリーは、皆さんとの交流で見つかるかも知れない。もしくはカウンセリングで見つかるかも知れない。

強い意志を持って病気と対峙するつもりはない。太極拳のように、受け流して最後は勝つ。そんな人生にしたい。

たかがツイッターでこんなに悩む必要はないだろう。しかし、四月から今の環境に入り私は変わりつつある。さしあたり、関東組で散歩がしたい。食事会だと、間ができてしまう。散歩なら自由に歩き、しゃべらなくても当事者なのだから察する事ができる。途中で抜けても構わない。ただの散歩なのだから。

私は音頭を取れないが、誰かに提案して欲しい。関東組しか集まれず、それ以外の方との仲間意識の差ができてしまう事がありえるので、なんらかのフォローは必要だろうとは思う。今時点では浮かばない。

話は変わって、私は何者なんだろうと考えた。答えはわからなかった。

ただ、文字情報に対して可能な限り真意が伝わるようにツイートを推敲している。

特に、辛い毎日を過ごしていらっしゃる方には声をかけたい。理由はシンプル。私が記憶が無かったひどく悪かった時には、今の様にスマホで気軽に言葉を吐ける環境が無かったから。私は皆さんよりは恵まれた環境にいるだろうと思う。しかし、それに甘えてしまっているが為に、色んな葛藤があるのも事実である。親には数百万単位でお金を借りている。両親の経済事情はわからないが、息子として情けなく、数度大泣きもした。ベランダの柵にも何度も登った(6階)。でも支えてくれた。ただ感謝あるのみである。

そんな両親に、義理の両親に早く結果を見せたい。しかし、長く休み過ぎたせいで、今の環境から脱出するのが怖い。

41才にもなって恥ずかしい。

いつ立ち上がる事ができるかわからない。

頼みの綱の障害厚生年金もいつまで頂ける方わからない。更新時をデッドラインにして自分を追い詰めている。でも今の生活にあぐらをかいている。

何かきっかけが欲しい。そこに現れたのが #milkカフェ さん。出会ってから、これまでできていなかった事が少しずつできるようになった。今年中に、地元の就労支援施設に通うのを当面の目標にしている。

また話は変わって、私は洋楽、ゲーム、アメコミ、そしてプロフ画のTiffanyが大好きである。自分のツイートなのだから、楽しんでリツイートなどをしたい。それを不快に思う方がいても、リツイートを表示しなかったり、こっそりフォローを外して頂いてもかまわない。自分を受け入れて貰えなかったと思うほかない。今の私を知ってもらえる環境はここにしかない。もっと自由にツイートしたい。

 

最後に、たくさんの方から優しいと言われたり、感謝されたり、とても嬉しい言葉を頂く事がある。どの辺がそれに該当するのわからないが、私はこう思うと感じられるツイートには積極的に声をかけさせて頂いている。一部の方に偏ってしまう事もあるがそこは相性という事でご容赦をお願いしたい次第です。

私はここにいます。ここにしかいません。皆さんと共に励まし合って、皆んなと卒業したい。

明るい未来を信じて、これからも皆さんと一緒に歩んで行きたい。

 

長文になり過ぎて支離滅裂になっていると思うが、これが今の私の等身大。

御縁がある方、これからもよろしくお願いいたします。

皆さん、ありがとうございます。