うつ病と社交不安障害になった私、寛解への長い寄り道記録

うつ病10年目、毎日、寛解にむけての紆余曲折の記録です。酷いネガティブな投稿もあるかもしれませんが、それを含めて記録していきたいです。繰返し同じような投稿をするかも知れません。その時思っていることを書いているので、ご了承ください。【注意点】ツイッターの延長線上で書いています。ご了承ください。

私。

私は家族と医師とツイッターの中の人、ブログを見てくださるあなたに認識されることにより存在しています。

誰も私を見ていなかったら、そこには何も無いかもしれません。

同様に、私が見ていない世界は存在していないかもしれません。

 

私は皆さんにどう見えているのでしょうか。

成人既婚男性、薬のせいから来る過食で太っている、背が低い、背が高い、たまに別人がブログやツイッターをしている、進化したAI、普通の学生、犯罪者、かまってちゃん、挨拶する人、宝くじが当たった大金持ち、仕事をバリバリこなす現役のサラリーマン、心療内科の先生、余生を楽しむお年寄り、八方美人、芸能人、音楽評論家、毎日苦悩するうつ病持ち双極性障害持ち、仮想空間だけでしかしゃべれない人見知り、毎回毎回同じことを繰り返す変わり者、お節介やき、被害妄想が激しい、親切な人、嫌われるのが嫌でたまらない人、偽善者、あなた誰でしたっけ?と思われる存在。

 

さて、どれが私なんでしょうね。

ご想像におまかせします。

 

今、せっかく居心地のよい場所を見つけたのに、そこから逃げ出してしまいそうです。

数年前の自分ならアカウントを消していたでしょう。"何か辛い事がありましたか?" "はいありました。"  改めてご挨拶をしましたが、スルーされています。私は嫌われているのでしょう。そのせいでアカウントを消したいのです。その理由一つで。でも、同じような辛さを分かち合うことが出来る人が集まるこの場所を離れたくはありません。

どうしたら自分の気持ちに折り合いをつける事ができるのでしょうか。フォローをはずすもしくはブロックして割り切る。スルーさせている状況が改善したら、いつも通りに戻れるのでしょうか。私は自分の身を守ることが下手なのです。

 

私は小さい頃から常に人の目に気を払って生きてきました。いじめられっ子でした。いかにしたら嫌われないか、嫌われたらどうしよう、友達になりたい。でも自分から話しかける事ができない、話しかけてくれた数人とだけ仲良くし、他の人からは認識されているかもわからない、そんな自意識過剰な人間でした。

その嫌われたくないという感情は、完璧主義に変化しました。認められたい、頼られる存在になりたい。そんなことばかり考えて仕事をしてきました。もちろん成果はたくさんあげられました。ある大企業の新規支社のシステムの移行をしたのは私です。3年間、自分の会社の新入社員のパソコンのマスター機を作ったのは私です。プロジェクトの計画書のフォーマットを作ったのは私です。土日に必ず誰かが出勤して対応しないといけないシステムを自動化し、ハードの故障以外に出勤する必要をなくしたのも私です。他にもたくさんやりました。完璧だったかはわからないけれど、身をすり減らして、頭をフル回転して色んな課題を解決しました。

 

そしてある日、壊れました。

2008年2月でした。

 

私より苦労している方、思うように体が言う事をきかない方、毎日辛いのに一生懸命働いている方、私より病歴が長い方、もしかしたら確実に治すことができない症状をお持ちの方、あげたらきりがありません。

 

私は、私の中での限界で壊れました。

そして、今もポンコツです。

本当は働けるはずだ、バイトならできるんじゃないか、障害をオープンにしてどこでもいいから働かせて頂ける場所を探したらいいじゃないか、色んな声が聞こえて来る気がします。

 

私はとても怖いのです。

見捨てられる事、嫌われる事、嫌われているのがわかってしまう事、1人になること、働くことが想像できない事、いつまでたっても自分から病気を治そうと積極的にならない事、逃げるもしくは避けている事、ただの甘えたクズな事、常に一喜一憂してしまう事、他人の気持ちを優先して、自分のハードルを上げてしまう事、一日があっという間に過ぎて、家族がどんどん年をとって永遠には生きられない事、妻に呆れれていないかという事、

 

そして、こんなブログを書いて、同情を引きたい事、このブログを読んだあなたが私を見限る事。

 

未来に希望がないこと。

生きている意義がわからない事。

生きていることに意味はないと仰っていただける方に背いてしまっている事。

 

私はどうしたら私に価値を見出す事ができるのでしょう。

私は広大な宇宙の中のチリにも満たないものすごく小さい生命体です。

それでも、自分という形をもっています。

そう認識しているのは脳なのでしょうか?それとも初めに書いたように見られていないと存在していないのでしょうか、それを脳が勝手に嘘の記憶をつくってそれらしくしているのでしょうか、それとも本当に魂はあるのでしょうか。

昔、亡くなったら体重が数グラム減ったみたいな事を題材にした物語があった気がします。

 

人は何かにすがりつきたくて、神を創りました。もしくは本当に神が人間や生き物を作り出し、偽りの記憶を植え付けて、人類まで進化したと思わせているのでしょうか。

 

私は、私はなんなんでしょうか。

生きているのでしょうか。

生かされているのでしょうか。

生まれたものはその意義を持つ必要はなく、ただ存在していればいいのでしょうか。

他人と価値観を比べる必要はないのでしょうか。

 

もうこんなに長い文章を読んでいる人はいないでしょうね。ほら、被害妄想です。

最後まで読みましたよと声をかけてくれるのを待っている自分がいます。

 

私。私はここにいます。

誰か私を見つけてください。

声をかけてください。

私はそちらに耳を傾けます。

聞こえますか?

届いていますか?

私はここにいます。

どうか探してやってください。