うつ病と社交不安障害になった私、寛解への長い寄り道記録

うつ病10年目、毎日、寛解にむけての紆余曲折の記録です。酷いネガティブな投稿もあるかもしれませんが、それを含めて記録していきたいです。繰返し同じような投稿をするかも知れません。その時思っていることを書いているので、ご了承ください。【注意点】ツイッターの延長線上で書いています。ご了承ください。

回復できない

昨日の深夜になぜか分かりませんが、突然堰を切ったように、感情が高ぶり、思いつくまま文字を書き連ねました。

 

何かあったわけではありません。

リアルでもSNSでも何もありません。

ただ突然だったのです。

 

今も、もやもやしています。

どよんとした雨雲が頭の上にのしかかり、

体は鉛のように重く、何もできませんでした。

まあ、食事はしましたが、普段は両親と食卓を囲みますが、1人で自室で食べました。

妻はバイト中。

妻以外とは話をしたくありませんでした。

 

私は妻にいいました。

私はなんで生きてるの?と。

妻は私も特別生きている理由はないよといいました。

お互いに依存しあって生きる意味を見出していました。

 

なぜ回復しないのでしょうか。

たぶん理由なく落ちたので、浮上するきっかけもないんでしょう。そんな気がします。

 

うつ病、双極性障害、不安障害、強迫性障害、私が不勉強な発達障害やADHD、LGBTQ等、外見をみても一見何もない姿、でも中身は苦しい、怖い、めまい、頭痛、動悸等色々な症状を抱えている方々がいます。

( 上記でカバーできていない方には言葉足らずで申し訳ありません )

 

そんな皆さんが話をしているツイッター内で私は元気をもらい、そして悲しみに対しては何もできないもどかしさを感じています。

 

それぞれ違う生きづらさを持ちつつも生きています。

 

私は1人ではありません。たくさんのいいねやリプをくれる人、ブログを読んでくださっているあなたがいます。

私はそんな皆さんの中で1人の人格として、認識されています。

いつも元気でお話をすることはできません。

けれど、見守ることはできます。

 

私が今生きる価値はそんな皆んなの思いを見る事、感じる事だと思っています。いや、思いたいです。

 

早く気持ちが回復するには休むしかないかもしれません。あるいは、急に元気になるかも知れないし、明日かも知れない。でも皆んなの気持ちは見ています、感じています。

 

今、私はそれを言いたい、伝えたいです。