うつ病と社交不安障害になった私、寛解への長い寄り道記録

うつ病10年目、毎日、寛解にむけての紆余曲折の記録です。酷いネガティブな投稿もあるかもしれませんが、それを含めて記録していきたいです。繰返し同じような投稿をするかも知れません。その時思っていることを書いているので、ご了承ください。【注意点】ツイッターの延長線上で書いています。ご了承ください。

レッテル

レッテル。

レッテル

① メーカー・会社などが自己の製品であることを示すために、商品にはりつける小形の札。 「缶詰の-」 ② ある人や事物に与えられる評価。 [句項目] レッテルを貼る
大辞林 第三版

私はレッテルという言葉・文字に敏感になっている。

私には人格がある。だがレッテルを付けられるとただのマークになってしまう。私はそれが嫌いでしょうがなかった。

 

私は誰にもレッテルを付けていないかといえば、レッテルを付けまくっている。

家族や親せき、テレビに出ている人、電車に乗っている人、コンビニで働いている人、工事現場で働いている人、こうやってジャンル分けしている時点でレッテルを貼っていることになっている。

 

この投稿でレッテルをテーマにしようとしたのは、ドラマ”ウォーキングデッド”に出てくる”マギー”という超重要人物が新シーズンの契約更新が決まらずギリギリで滑りこんだ件を思いだしたからだ。そして彼女はこんなことを言った。

www.cinematoday.jp

うれしいことにローレンは「戻るわ。マギーの物語はまだまだあるもの」と続投を発表。第9シーズンのストーリーについては「詳しいことは言えないのはみんなわかっていると思うけど、期待できる内容よ」と答えたという。 

私は、ローレン・コーハンという女優さんがマギーであると思いに入れ込み、彼女が発した”マギーの物語はまだまだあるもの”という言葉に、あっそうか、この女優さんにとってはマギーという役は彼女のキャリアの1つであり、必要とされれば出演するというシンプルなものであり、マギーは彼女の中では永遠ではないのだと、私の中で勘違いをしていたのだと認識させられたのだ。

 

レッテル、それはその物その者の一面でしかなく、それはただの入り口でしかないのだと思った。

 

私はかつてレッテルを貼られ、それをとても恥と感じてしまった。それ以上、自分の他の面を見せることをしなかった。

 

今は、あのひとには〇〇と思われているかもしれないけど、(縁があれば)さらに私の別の一面、別のレッテルをつけてくれるかもしれない。

 

レッテルという言葉に対して、心の持ちようを新たにした気がする。

 

生きていれば、何もしていないようで、日々何かが変化していると思った。