うつ病と社交不安障害になった私、寛解への長い寄り道記録

うつ病10年目、毎日、寛解にむけての紆余曲折の記録です。酷いネガティブな投稿もあるかもしれませんが、それを含めて記録していきたいです。繰返し同じような投稿をするかも知れません。その時思っていることを書いているので、ご了承ください。【注意点】ツイッターの延長線上で書いています。ご了承ください。

個人的なツイッターとの付き合い方

※これから書く内容は、2010年末ぐらいからツイッターをはじめて、今日までに学んだツイッターとの付き合い方を書きます。

あくまでも個人的な考えだし、もうおじさんなので、なんの役にも立たないかもしれません。お暇ならご覧ください。

 

正直、1番初めにSNSと呼ばれる何かに触れた時の記憶はありません。当時、mixiがあったも忘れましたし、今でいうブログに相当するものに触れていたかも記憶がありません。なぜかというと、うつ病になったのが2008年で、まだまだ急性期まっさかりだったからです。

 

記憶にあるのはやはり少女時代関連からです。

朝の情報番組に出演していた彼女たちは何者だ?どうやったらこのキュンとする気持ちを共有できるんだろうと思っていたところに、ツイッターが現れました。(記憶ちがいならごめんなさい)直ぐに、ツイッター上でハッシュタグを使い、同じ想いをしている人達とネット上でつながり、あっというまに数百人単位の輪ができました。

 

そして、少女時代というリアルな存在に対して興味を持つ仲間達に直接会いたいと思うようになりました。これが後に後悔する、悪いことをするきっかけになります。

 

まだツイッターの怖さを知らない仲間たちは、個人情報を軽々しく話すようになりました。性別、年齢、住んでいる地域。

 

2011年3月11日に3人で新大久保に集まるオフ会をやる計画をしました。私と、大学生男子、高校生女子の3人です。その時の私は今思うと異常だったのかもしれません、とにかく会いたかったのです。だがしかし、電車に乗ってしばらくして、電車が大きく揺れました。走っているのに横に揺れました。

大震災の日でした。でもまさかあんなことになってしまうとは知らずに、そのまま予定時間をずらしてでも相手と会おうと連絡しあいました。あの時、電話もメールもつながらず、ツイッターだけが機能していました。しかし流石に電車がそれ以上進むことなく、歩いて帰る事になりました。

 

その後、改めて予定を立て、ようやく3人揃って韓国焼肉の店に入り、色んな話をして、買い物をしてオフ会を楽しく過ごしました。

そこでの楽しさをさらに求めて、もっと大規模のオフ会に参加することになりました。

その時点でのツイッターの使い方は、朝は挨拶しまくり、仲間うちで常に会話、個人情報垂れ流し(一部では本名)、年齢を意識せずにタメ口、仲が大変よいと勘違いし、調子にのっていました。

 

そして、大規模オフ会の日、参加できなかった人の為に、ある人の写真を送ってあげようと思い、事前に取られる側の許可をとって当日に挑みました。しかし、その写真を撮られる対象の子はやっぱり嫌だと言いました。私はツイッターの仲ではとても仲良くしていたので、がっつくように、写真を撮らせてもらうようにせがみました。

私はネット上の距離感とリアルな距離感がわかっていなかったのです。もしかしたら、躁だったと言い訳できるかもしれませんが、とにかくやり過ぎました。

リアルで会う相手は、リアルに感情を表し、リアルに拒否しました。そして私はリアルにムキになりました。

 

そしてその後、私はそのオフ会のメンバーから白い目で見られるようになりました。今にして思えばセクハラもしくはそれ以上に相手を傷つけてしまいました。ツイッターの拡散力はひどく強いもので、私はアカウントを消さざるを得ないところまで落ちました。

今だに本当に本当に悔やんでいます。そして申し訳ない気持ちでいっぱいです。

年上の私から命令に近い思いをさせ、本当に後悔しています。

 

それから、私はアカウントを作っては消すことを繰り返しました。まだこりていなかったのかもしれません。私は狂っていました。

 

そして、ツイッターを離れました。

 

あれから何年も経ち、今思う教訓は、リアルな情報を無理やり聞きださない、嫌といわれたら二度と同じ発言をしない、相手がネットを介したリアルな人間であることを理解し、執拗以上に踏み込まない、オフ会などに行く場合は、十二分に相手に対して思いやりを持つこと、個人的に深い仲にならないということです。

そして、自分の年齢を意識することを忘れてはいけません。特に学生さんが相手の場合は年齢の差を自覚していないと、相手が思っている以上に警戒されていることに自分が気がつきません。

中にはその仮想空間内で仲良くなり、結婚までした人も知っています。それは同年齢の仲の話であり、学生さんからすれば私はかなり年上のおじさんなのです。

 

私は今、新しい立場で新しいツイッターの場にいます。上記の教訓を忘れずに発言しているつもりです。もちろんプロフィールや文字から伝わってくる情報から、推測できることはたくさんありますが、あくまでもあかの他人でありそれ以上の情報を聞くことはしていないつもりです。

相手が私の事をいい人と思っている、もしくは面倒くさいと思っている可能性は大いにあります。私は私のこれまでの悪い行いを決して否定せず、この投稿に書いている通り私は過去に大きな過ちを起こしたことを告白し、それでも良しとしてくれる方と適切な距離を保ち、一緒に前に少しずつ進んでいきたいと思っています。

病気の関係上、ネガツイをすることはありますが、それで縁が切れてしまった場合は、それはそれとして受け入れます。それがツイッターで私が学んだ最低限の事になります。

決して離れた理由を他の人経由で知ろうとせず、フォローを外されてもブロックさせても、それを気にすることはしないと思っています。

昔は、ネット上の機能を使ってだれが離れていったか非常に敏感に思い、一喜一憂していましたが、もうそれも忘れていたぐらいで、二度とすることはないでしょう。

相手もなんらかの理由があるから離れたのであり、それは自分もするかもしれません。

縁とは、期待しないこと、私のツイッターの結論はそこにたどり着きました。

期待しないというのは、仲良くできないというのではなく、引きずらないという事です。

 

長々と過去の過ち、今のスタンスを書いてみましたが、それでも私に話かけてくれる方、縁がある方は大切にしたいです。適切な距離を保ち、一緒に成長していきたいです。

(終わり)