うつ病と社交不安障害になった私、寛解への長い寄り道記録

うつ病10年目、毎日、寛解にむけての紆余曲折の記録です。酷いネガティブな投稿もあるかもしれませんが、それを含めて記録していきたいです。繰返し同じような投稿をするかも知れません。その時思っていることを書いているので、ご了承ください。【注意点】ツイッターの延長線上で書いています。ご了承ください。

昨晩は急に落ちた。

 

原因は、夕食時の母のマシンガントークに耐えられるなくて、手で✖️をだして、止めてしまったこと。

 

それともうひとつ、今日、妻が妻の両親とミュージカルを観に行く。私はミュージカルが苦手なので、最初からパス。

で、その時に妻に義父母に言ってもらいたいことがあるのに妻に言い出せなかったこと。

 

それは、今年いっぱい義父母達との食事会に参加したくないということ。

食事会は、年に4回ぐらいあり、お互い元気なのを確認したり、最近はどうですか?と話す場になる。

何故参加したくないかは、わかっていて、私の病気が治らない=未来の生活の不安定の為、合わす顔がないということだ。

妻はそんなの気にする必要はないという。

結婚してから14年、一度も喧嘩したことがないくらいお互いのことを信頼しているが、その一点は譲れない。結婚式の時に、病める時も〜とあるが、やはり辛いものは辛いのだ。

 

それに、義父母からは、かなりの生活費の援助や額の大きいこずかいを貰ったりしている。

障害厚生年金がなぜか三級から二級になり、金銭的に余裕ができたので、借りていたお金を返済したいと思っていたが、妻はそれは必要ないと言い泣いた。私には、妻と妻の両親と私の考え方には違いがあることを話した。お金は貸したのではなく、援助したということのようだ。私は筋を通したかったが、その点は妥協することになった。

 

長々と個人情報を垂れ流したが、つまりは出来れば私が職を持って、自信を持って報告ができるまで合わす顔がないのだ。

 

私は正直言って、(今の時点では)二度と働きたくない、働くとしても在宅がいい。

私は臆病で、ダメな人間だ。

いつからこんな風になってしまったんだろう。

働いていた時は、かなり仕事ができて頼りにされていたと自覚できるほどであった。

だからこそ、真面目に手抜きなく、完璧に仕事をこなしてきた。それなのに、部署異動の話が出た程度で壊れたのだ。

(この話は、ブログ内の伝えたい記事に詳細を書いた。昔の知り合いがみたら、すぐバレるだろう…)

 

ここ数日、日々の生活の成果のハードルを下げた。10年たってこれだ。いままで何をしてきたのだろう。医者に恵まれていなかった?自分に甘えていた?それとも新しい出会いが、これからの成長の為の通過儀礼で、その時がやっと来たと取るべきか。

 

とにかく虚しい、悔しい、悲しい、不甲斐ない、勇気がない、何にもない。

あるのは太ったお腹の贅肉ぐらいだ。

私はどうしたらいいのだろう。

焦らないで生活したとしても、いつまで続ければ次に進めるのか、それとも高額宝くじが当たる運命でもあるのだろうか。

 

その人に起こることは、その人が乗り越えられることしか起こらないみたいな言葉をよく聞くが、自死した人々は乗り越えられなかったのだ。

 

私の未来はどうなるのだろう。

タイムマシンか、ドクターストレンジのタイムストーンで未来の可能性をみることはできないのか。

 

今という現実を真面目に送ることで、その積み重ねが未来になるのだろうか。

もうわけがわからない。

そもそも、私は現実の人間なのか、神が作った箱にはゲームの村人Aなのではないのか。

 

段々何を書いて、吐き出しているのかわからなくなってきた。

 

虚しい。悲しい。怖い。寒い。

ツイッターやブログの投稿すら怖くなってきた。みんな優しくて頼りになり、共感できるのに、なぜが怖くなった。