うつ病と社交不安障害になった私、寛解への長い寄り道記録

うつ病10年目、毎日、寛解にむけての紆余曲折の記録です。酷いネガティブな投稿もあるかもしれませんが、それを含めて記録していきたいです。繰返し同じような投稿をするかも知れません。その時思っていることを書いているので、ご了承ください。【注意点】ツイッターの延長線上で書いています。ご了承ください。

Death Magnetic

私が休職に追い込まれた話は以前書かせて頂きました。

今回は復職までの話を書きます。

 

www.alpha-omega-hateb.com

 

 

www.alpha-omega-hateb.com

 

少々記憶が曖昧な為、以前の投稿と整合性が合わない所があるかもしれませんが、たいして違いはないと思うので、ご容赦ください。

 

あと、過去の職場での出来事を書くのはこれで止めようと思います。

 

私が勤めていた会社には、保険医さんと、産業医さんがいました。

(産業医なんて言葉を初めて聞きました。いまだに違和感があります)

調子が悪くなっていた段階で、保険医さんと面談し、当時住んでいた場所の心療内科を紹介して頂き、そこに1度だけ行きました。

なぜ1度だけだったかというと、"1回診察しただけでは何も言えないし、薬も出しません"とかなり高圧的に言われたからです。ただでさえ抵抗がある医療機関に精神が限界を迎えつつある状態で藁をもすがる思いでいったのに、その仕打ちかよ・・と思ったからです。

まあ、今思えば、たしかに1度の診察で病名を言うのは不可能だと思いますが、せめて抗不安薬ぐらいは処方してほしかったです。

(この1度だけの曖昧な診察のせいで、後の障害厚生年金の取得に必要な初診診断書を書いてもらうのに苦労しました)

 

再度、保険医さんと面談し、産業医の先生と面談することになりました。

(この出会いもなかなかどうして、辛いものがありました)

私、課長、産業医の判断で休職相当の状態ということになり、課長のお力を借りて、自分の手持ちの仕事を他のメンバーに割り振って頂き、休職に入りました。

 

休職の猶予は2年間でした。その間は傷病手当金が頂けたので、6年間働いていた分の貯金と手当金で不自由なく生活できました。

(お金の心配がなかったので、差し当たり焦りはありませんでした。)

 

さて、ここから記憶があいまいです。伊勢神宮まで旅行に行ったのは覚えていますが、それ以降は寝たきりでした。

一か月、三か月たっても何も変わりませんでした。

(退職するまで、産業医の先生が経営している心療内科に通っていました。ただ、その病院は、リワーク重視の病院で急性期の私がお世話になるような場所ではありませんでした。)

 

何か月たったでしょうか、少し自信がでたので、産業医、人事部の方と課長同席で面談をしました。

復職の条件、それは、

会社が指定した図書館で、スーツを着て朝9時から17時半まで過ごすことを二週間つづける

でした。

はい、無理でした。

指定された場所?(監視がある?)、昼ご飯はどうするの?、自由席が10席もないんですけど、と色々先々を予想してしまい、1日目の15時ぐらいでギブアップ。

図書館を出て時間をつぶし、打刻して帰宅しました。

確か、3日ぐらいで終了しました。

再度、自宅療養です。

お先真っ暗とはこの事かと言わんばかりに落ち込みました。

私には無理な条件だと。

 

自宅療養中に、妻と一緒に近所の図書館に行きましたが、半日で帰りました。妻にストップをかけられました。

 

その後、何をしていたのか・・。海外ドラマ「CSI:科学捜査班」「24」を観ていたのは覚えています。ケーブルテレビで、アニマックスをつけっぱなしだったような気もします。

そして、1年11か月経ちました。

2010年2月だったでしょうか、最後のチャンスでした。

私は気合を入れる為にメタリカ(アメリカのヘビーメタルバンド)の2008年のスタジオアルバムである「Death Magnetic」を聴きながら、図書館チャレンジに挑みました。

 

やはりダメでした。でも復職しないといけません。

色々考えた挙句、マンガ喫茶に通ったり、映画館にいったりして、なんとか、なんとか2週間、自分と会社をだまして、復職のはんこをもらいました。

 

そして復職しました。初めは、リハビリを兼ねて資格の勉強をすることになりました。

2週間後ぐらいで、うちの課が取り組んでいたプロジェクトに入ることになり(社外の大きな施設)、そこで課長付きの立場で単純作業をすることになりました。

課長は復帰を喜んでくれ、昼食にお寿司をおごってもらいました。

しかし、プロジェクトルームがある社外施設に行けたのは、その1日だけでした。

終わりました。

タイムオーバーです。

課長以下、メンバーは社外なので、あいさつさえすることなく、3月末に人事部に備品一式を返却し、会社を後にしました。

2010年3月末の話でした。

 

それ以来「Death Magnetic」は聴いていません。

産業医の先生の病院から現在まで通っている病院へ転院しました。

 

 

休職から退職までの話はこれで終わりです。

会社の事はもう書きません。

ただ、気になるのは、うちの会社の復職条件は適切だったのか?という点でした。

リワーク専門の産業医でなければ、もしかして、、と思わずにはいられません。

 

以上です。

ここまで読んで頂きました方、ありがとうございました。