うつ病と社交不安障害になった私、寛解への長い寄り道記録

うつ病10年目、毎日、寛解にむけての紆余曲折の記録です。酷いネガティブな投稿もあるかもしれませんが、それを含めて記録していきたいです。繰返し同じような投稿をするかも知れません。その時思っていることを書いているので、ご了承ください。【注意点】ツイッターの延長線上で書いています。ご了承ください。

未来へ(4/29 update)

気がつけば、このところ22時以降の焦りが少なくなっている気がする。

 

普段は24時に寝るのですが、寝る前に何かしなきゃ今日は何か出来たのか満たされていたのかという焦りに取り憑かれていた。

 

意欲がない、体が重い、常に疲れているはずなのに何かをしなきゃと思っていた。

しかし、意欲がないという現実により、結局何もできずじまいだった。

この事のせいで、毎晩苦痛を感じていた。

 

しかし、私が仲良くさせて頂いている、ツイッター上の皆さんは、できる範囲で(こんないい方は正しいかわからないが)、小さな幸せを、小さな達成感を味わい、今日もよく頑張ったな、頑張れたなという思いを140文字の中に詰め込んでいた。

 

辛らさは個人的に数値化できても、そのものさしは、数限りなくあるはず。

私も10年で蓄積した自分のものさしがある。

 

私は無意味に焦っていた。

その焦りが症状の緩和をさまたげている可能性があると感じた。

 

1日何もしてなくてもいいじゃない。

寝てるだけが休みじゃない。

何もしていないことにも意味がある。

何かしたくても、何もできないならそれでいいじゃない。

調子がよければやりたい事リストを見てできそうなことをやればいい。

 

挨拶をした。

3食食べた。

散歩した。

本を読んだ。

昼寝をした。

風呂に入れた。

それだけできれば十二分なのだ。

 

焦りがなくなれば、余裕ができる。

余裕があれば意欲が湧く。

意欲があれば活動できる。

活動できれば、外に出れる。

外にでれば、新しい居場所をみつける可能性が増える。

居場所に腰をすえ、十分と感じれば、さらに先に進める。

先に進めれば未来が見える。

未来には可能性がある。

可能性があればなんでも挑戦できる。

挑戦できれば、失敗しても少し戻るだけで済むかもしれないし、成功したら、自分を誇れるようになる。

 

まだまだ、先は長いだろうけど、介助付きの一歩から、自分の足で半歩進み、そして、自分の足で未来に向かって歩く。

 

今、そんなことを考えられた。

考えられただけで、成長した。

明日落ち込んでも、また始めからやり直せばいい。

 

明日は明るいだろうか。

明日は晴れだろうか。

私達は、明るい世界に飛びだせるだろうか。

 

きっと何らかの形で、人それぞれの明るい世界に飛びだせるだろう。

 

なんてね。