うつ病と社交不安障害になった私、寛解への長い寄り道記録

うつ病10年目、毎日、寛解にむけての紆余曲折の記録です。酷いネガティブな投稿もあるかもしれませんが、それを含めて記録していきたいです。繰返し同じような投稿をするかも知れません。その時思っていることを書いているので、ご了承ください。【注意点】ツイッターの延長線上で書いています。ご了承ください。

私が会社を休職した理由(4/23 Update)

(4/23 Update 書きなぐった部分を修正・追記しました)

 

私は、極度の人見知りです。

これは小さい時、小学生の時から自覚していました。

友達ができない、周りの目が気になる、嫌われてないか気になる等々です。

 

小学生・中学生のころはいじめられっ子でした。今も昔も輪からはみ出てる人はいるもので、私もその1人であり、特定の数人からいじめられていました。

かなり昔の話なので、正確には覚えていませんが、スポーツ系のクラブに入っているリーダーみたいな人とその取り巻きに嫌がらせを受けていました。

(最終的には、向こうが親同伴で謝りに来てくれましたが)

 

高校生になっても輪に入ることが苦手というか苦痛でした。クラス替え・席替え、何かが変わるタイミングがとても嫌でした。

高校生の時は、軽音楽部でドラムを担当していましたが、文化祭でトリを取るくらい学校で知名度があったバンドであったにもかかわらず、"君、あのバンドの人だったんだ"と言われたことがあり、とてもショックを受けた記憶があります。

あと、自分が臭いにおいを発していないか常に気になっていました。

その為、教室で後ろの席が女子だったりすると、その女子たちの間で、変な噂になっていないかいつも気になり怯えていました。

 

大学生になると(今はどうか知りませんが)、単位をとるために、必修や任意の授業をうける形になるので、大多数の中の1人になるため、それまでの不安・恐怖感はさほどありませんでした。

(少し脱線します)大学でもバンドを続けていたのですが、コーラスだけは断固として断ってきました。

マイクを通して自分の声を聞くと、嫌な気分になり震えて涙がでてくるのです。(何で涙がでるのか今でもよくわかりません)

これは、卒業論文発表会の時も同じでした。

”おまえ、人前で1人でしゃべってるとき、息してるか?”とよく言われたものです。緊張のせいだったと思います。

 

会社勤めになった際も、起こってもいない事象を想像し、常に緊張していました。

1年目の仕事として、外線電話がかかってきたら2コール以内に率先して電話を取るというルールがありました(初めは勉強ばかりでしたから)。その際、電話を取るのは勿論のこと、先輩方に対して、”誰から誰に、何の伝言を伝えるということ”に非常に敏感な時期が長くありました。相手の名前等々が聞き取りずらい時も度々あり、その際も間違いなく報告しなくてはいけないので、緊張してかなり苦痛でした。

 

しかし、住めば都とはよくいったもので、同級生の集まりである学校よりは、先輩後輩の方が数的に同期より多い為、段々と環境になれていきました。

ただ、同期の飲み会の時は、隅っこで1人でたばこを吸い続けることしかできませんでした。

 

中学?・高校・大学・社会人につきもののカラオケ。

私は40歳前後ですが、カラオケにいったことがあるのは、2回だけ、歌わされたことがあるのは1度だけ、歌い方がわからなくて、緊張して涙目になって、2度と行くものかと思いました。家でも鼻歌は歌わないし、"テレビで流れていたあの曲なんだっけ"と聞かれたとき、それを知っていてもそれを歌うことすらできませんでした。いまだにそうです。

 

社会人になりたてのころつきものなのが、集団研修です。

研修は予定表があったので、何日にあれをやると決まっているのを事前に知ることになるわけですが、これはアウトだと思っていたのが、「ビジネスマナー」「グループを作って、ブレインストーミング」「簡単に作成した成果物の発表会」「当番制の朝の挨拶(3分程度時事ネタを話す)でした。

東京にある会社に勤めていましたが、厄介なことに遠方から来た同期が一時的に寮生活をしていて(住む場所がきまるまでの間)、研修時に既に派閥ができていたのです。

もちろん社会人ですから学生の時よりはましかなと思いましたが、基本私はぼっちでした。

ビジネスマナーの実践をする日は、研修開始30分で気分が悪くなり、油汗をかいてもどしてしまいました。(記憶が確かならば、1月の研修で5,6回もどしていたと思います。

あとは過敏性のトイレにいきたくなるやつ。通勤電車や、研修中は何度も冷や汗をかきました。

 

ここまで読んでいただけた方は、私がどのくらいの人見知りであったが少しわかっていただけかと思います。

 

なんでこんなことを書いているのかというと、私が会社を休職することになるきっかけの1つがこの人見知り(のちの社会不安障害、SADと診断される)だったのです。

 

私はシステムエンジニアをしていて、ある顧客先で常駐し、6年同じ場所で仕事をしてきました。

ある日、顧客側でシステムを新しく入れ替えるとの話が持ち上がり、うちの会社も手を上げました。結果、残念ながら新しい仕事をとれませんでした。それは、うちの会社が常駐を辞める=撤退=私の仕事場の環境が変わるということになります。

 

うちの課も解散→他の課に吸収されることになるという噂が広まりました。私は恐怖に震えました。またクラス替えをするんだ、また1からやり直すんだ、と悩む日々が始まりました。

 

ある日、課長との面談があり、新しい部に異動するか、吸収される課に異動するか希望があればその願いをかなえてくれると言ってくれました。

でも私の選択肢は、新しい課でも部でもなく、時間が戻ってほしいという願いだけでした。

 

この異動の話と並行して、うちの会社のシステムを綺麗に畳むための大きな仕事にかかっていました。前にも書いた覚えがありますが、顧客先はプレッシャーが多く、当時のリーダーや同期・後輩・協力会社のメンバーが倒れていき、私がたくさんの仕事の管理をせざるとえない環境になっていました。

完璧主義の塊だった私は人に仕事をふることができませんでした(そこそこ仕事には自信がありました)。信用できなかったというほうがいいのかも知れません。

この頃から精神的に疲れていて、会社の保険医に相談し、その先の産業医との面談も数回しました。

 

結果的にたくさんの仕事・プレッシャー・異動の話、既に体に出ていたサイン(のどのつかえ、胃の痛み、鼻がいつもつまる謎の症状)、これら全てがピークに達した時、朝動けなくなりました。妻に会社を休む旨の電話をしてもらいました。

1週間以上有給をとりました。そして、結局有給も使いきりました。

 

そして、課長から連絡があり、普段着でいいからということで、会社とは遠い場所にあるカフェ?みたいなところで全てを話しました。限界であることを告げました。

仕事は山のように残っていましたが、課長は休職を進めてくれました。

復職までのタイムリミットは2年、それを過ぎれば自己都合で退職になります。

結果、退職することになりました。

 

休職期間中の戦いについては、またいずれ。