うつ病と社交不安障害になった私、寛解への長い寄り道記録

うつ病10年目、毎日、寛解にむけての紆余曲折の記録です。酷いネガティブな投稿もあるかもしれませんが、それを含めて記録していきたいです。繰返し同じような投稿をするかも知れません。その時思っていることを書いているので、ご了承ください。【注意点】ツイッターの延長線上で書いています。ご了承ください。

出会いと救い

私は何のきっかけでツイッター上のあるタグの集まりに入っていったのだったか。

私はSNS上では饒舌だ、しかし、現実にオフ会やコンサートに行くと、輪にはいれず、集団の周りでうろうろしていた。

SNS上で想像するあの人は、見た目はどんな感じなんだろう。

あの人は男の人?女の人?年齢は?

色々気になって、輪にはいって仲良くするよりも観察するまでしかできなかった。

 

最後に家族、主治医、受付の人、コンビニ、本、ゲーム、スーパーの店員さん以外の人と会話をしたのはいつだっただろう。

少女時代の4回目のツアーの時は、FBで繋がっていた仲間と顔をあわせることなく、帰った。(私が、少女時代のFB上のファンページの編集者を辞めた後だったので顔をだしたくなかった)

ということは、2014年12月9日、東京ドーム単独公演の時が最後だった。

もう3年以上前になるのか。

どうりで社会復帰にびびるわけだ。

まずコミュニケーションがとれるかわからない。

話題もない。

 

前にも書いたが、友達はいなくなった。大学の仲間の結婚式に呼ばれたりはしたが、全て断った。(太ってしまったので、会いたくなかったという理由もあったが)

 

会社を休職して、2年間の猶予期間内に復帰できず、退職した。

何年も夫婦2人で過ごした。

当時私はかなり不安定で、妻は私を1人にさせたくなかったらしく、いつも一緒にいてくれた。

(今は急性期を脱出しているので、妻は安心してバイトに出ている。いくら親と同居していても、障害年金3級をもらっていても、なんだかんだで自転車操業だった。妻には感謝してもしきれないほどに苦労をかけた。たまに私が泣きながら謝っても、頭をなでてくれ、大丈夫だよと言ってくれる。私は幸せものである)

 

病気をしてから少女時代のファンになり、主にツイッターで仲間を増やしていった。

でも、(今思えばおかしかったのだろう)オフ会である人に不快な思いをさせてしまい、私のツイッターでの活動は終わった。

今も恨んでいるだろか。いや、思い出したくもないはずできっと忘れているだろう。

もう、6年以上前の話だから。

 

そしてFBの世界にも同じようなコミュニティがあった。

上に書いた通り、色んな仲間とめぐり逢えた。

しかし、日中もFBを更新しているのを見ていた仲間は、私の職業を聞いてきた。

私はカミングアウトした。でも、仲間たちは私とほぼ同年齢ということもあったかと思うが、偏見の目はなかった。

そんなFBでの仲間達も、少女時代のメンバーのソロ活動が活発になるにつれて、ブログの更新が止まったり、いつの間にかツイッターも更新していない人もいて、ブームは終わったんだなと思った。

 

それから約3年、ツイッター上でいまの輪にたどりついた。その輪は私と同じように、日々苦しみ、日々苦悩し、そして元気をとり戻している人もいた。

こんな輪に入れたのは初めてだった。みんなの発信する心の叫びは私に響いた。

私が元気があるときは、苦しんでいる輪のメンバーに声をかけ、ここにも苦しんでいるひとがいるよ、あなたは1人じゃないよと、できる範囲でアプローチしてきた。

それは、私の心の浄化にも効果があったようだ。

 

今までの私は、10年の長い年月病気が完治せず、障害厚生年金の2年ごとの更新におびえ、あと〇日で終わりだ。それまでになんとかしなきゃ、仕事に戻らなければと考えていた。ずーーーーーーっとそれで悩み、苦悩し、ベランダから下を見たり、夜中に突然外にでたり、深夜に1人かくれんぼをしていた。いつもいつもお金とリミットまでの日数を考え続けていた。

 

しかしどうだろう、輪の中のいろんな人の声を聴くと、焦りが一番のストレス要因であり、自分で自分の首を長い時間しめ続けていたことに気が付いた。

そして、ある日、病気は完治はしない、寛解してうまく付き合っていけばいいんだ。働くこともあせらずにいればいつか面と向かって向き合えるのではないかと。

私は今、お金のことでの悩みがだいぶ薄れた。夜中に涙を流すことも減った。

私は一歩進んだのだ(と思う)。もちろん波はあるし、急に体が鉛になり、ネガティブな言葉を発する。でもそれは、昔とは違って自分に返ってきている気がする。

 

私は、救われた。少なくとも今は、私は救われている。