うつ病と社交不安障害になった私、寛解への長い寄り道記録

うつ病10年目、毎日、寛解にむけての紆余曲折の記録です。酷いネガティブな投稿もあるかもしれませんが、それを含めて記録していきたいです。繰返し同じような投稿をするかも知れません。その時思っていることを書いているので、ご了承ください。【注意点】ツイッターの延長線上で書いています。ご了承ください。

完璧主義とは

昨晩、下記のツイートをした

“ ふと思ったのだが、私はまた完璧主義を脱出していないのではないかと。
だから、日々の生活に意味を持たせないと気が滅入って、夜になって呻くんだと。
これは、クリアできない。
たけしの挑戦状レベル。
結局、完璧主義は、諸刃の剣なのだ。 ”

 

wikiより引用

“ 完璧主義(かんぺきしゅぎ、英: Perfectionism)とは心理学においては、万全を期すために努力し、過度に高い目標基準を設定し、自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格を特徴とする人のこと 。 定められた時間、限られた時間の内にて完璧な状態を目指す考え方や、精神状態のことである。“

 

私流に勝手な解釈をすると、他人に迷惑をかけないように、他人から嫌われないように、未来を予測し、そのパターンの回答を用意して、それを実行する。つまり、完璧にこなせば、評価はよくなるし、頼られる。頼られれば、さらにその上を目指す。そして、自分のキャパを超えてしまい、自爆する。

 

私は、6年しか働いていない。

職種は○○で、顧客先に常駐していた。

これだけでも神経をすり減らす。

恥ずかしい話だが、うちの作ったシステムは、私が入った時、しょっちゅう火を吹いていた。上司とリーダーが朝一で報告書を持って謝りに行く。

しかし、内容が充分ではなく、突き返されて、再度、障害状況、原因、解決方法、同じ問題を起こさない為の改善策をペーパーにおこして、再提出することがよくあった。

 

この繰り返しで、部長が変わり、リーダーが退職し、同期も派遣さんも退職、契約打ち切りになり、気がつけば私がサブリーダーになっていた。

元々、完璧主義だった私に、責任がのしかかった。私は運悪く、後輩を指導する立場になれなかった。なぜなら、メンバーを追加するお金の都合がつかなかったからだ。

結果、私の完璧主義はフル回転していた。

 

新リーダーは体力もあるし、システムに非常に詳しく頼れる大先輩だったが、障害が起こっても、即、顧客に一報をいれず、解決してから報告していた。これが悪かった。

 

ある時、リーダーがひと月不在にならねばならない時があった。

私はとにかく、障害が起きればすぐに報告し、それに対して顧客側は、理解をしめし、個人としても認めてもらえた。

これが私の考える最善策だった訳だ。

お陰で、障害報告でお叱りを受けることなく、開発、運用を含めて、ひと月乗り越えた。これも完璧主義がなせる技だったのかも知れない。

 

その後は、リーダーと2人で、仕事のペースが遅めのメンバーや、プロジェクトのお金の話、システムを安定させる為の改善策を、頻繁に話し合った。この時点で、私の社員としての立場は、いわば飛び級したようになっていた。

諸問題が解決したころ、新システムのプレゼンに負けて、我々は後始末をすることになった。

 

全国規模のシステム入れ替えの為、夢に出てくるぐらい対策を考えた。限られた人数で神経をすり減らし、努力した。

このころから、ガスター10、謎の喉のつまり、鼻から息が吸いづらくなり、スプレーが欠かせなくなっていた。つまり、サインはでていた。

 

新システムが、うちの会社ではなくなるということは、愛着を持つ、6年務めた環境から離れることになる。

元々、新しい輪の中に入っていくのが大変苦痛な性格の為、段々と真綿で締め付けられるよう苦しんでいった。

( 後に、SADと診断された )

 

 

完璧主義の話をするつもりが、いつのまにか、あらぬ方向に行ってしまった。

 

なんで過去を振り返っているかというと、文字にして、あの頃の私の認識とは違う観点からみれば、違った答えがでていたかもと思ったからだ。

今日はここまで。